Essay/Column/Diary

素晴らしい人との出会い

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鈴鹿駅.JPG

いきなり昨年の話で恐縮だが・・・
年末でドタバタしていた頃のことで、東京出張に出掛けた時の話である。
いつものように鈴鹿駅から「快速みえ」で、先ずは名古屋に向かった。
前日に指定席をとっていたが、混んでいるようで席は通路側だった。
列車が着いて乗り込むと、窓側には初老の男性が座っていた。
足元に大きなバッグを置き、足を広げて座っていて、一寸、嫌な感じがした。
私が腰を下ろすと、やはり足同士が当った。

みえ車内.JPG

「あっスイマセン」と、その方は足元のバックを寄せて足を狭められたが、その時、横に白い杖が見えた。
「すいません、私は目が全く見えませんのでご迷惑かけます」と謝られたが、とんでもない、杖にも気付かなかったのは私の方で「いえいえ、大丈夫ですよ」と、申し訳なく答えた。
その方は、それからも話しかけて来られ「私は刑務所を訪問して回っています」と言われるので、正直、一寸厄介な方と一緒になってしまったな、名古屋まで40分もあるし、と。
しかし、人をハナから嫌うことは良くない、と思い直し、話に相づちを打ち、話を続けてもらうようにした。
今日は四国の施設を訪問に行くとのことで、各駅では事前に連絡をしてあるので駅員の方が面倒を見てくれる、とのことだ。
そして、最初から視力が無かったのではなく、高校生の時のことを話された。当時は高校野球の選手で甲子園を目指していた。しかし練習中に他の生徒がバットを素振りしたのが目に当り、視神経を痛めてしまい、失明したのだと。
そして、その時には失望し荒れてしまったと、それこそ、世話をしてくれている母親に対しても、こんな弱い神経に生んだのか、と当っていた、と話された。
名刺を頂くと、主たる肩書きが刑務所教誨師で、他にいくつかの会長や理事や委員長といった肩書が並んでいた。
因みに、教誨師(きょうかいし)とは、過ちを悔い改め徳性を養うための道を説く人を言う。
家には、元暴走族をはじめ、何人もの人が(多分、居候で)居るようで、玄関には、いつも10数足の靴が並んでいると喜んでおられて、彼らが私の世話をしてくれる、とか、そうした光景が想像出来るような話をされる。
「おいくつですか」と私が尋ねると、
「いくつに見えますか」と言われるので顔を見た。いや、それまでも話す時にはしっかりと私に顔を向けて話されていたのだが、あまりにキチンとこちらを向かれていたので、逆に顔を見づらかったのである。
よく見ると、歌舞伎役者のように整った顔立ちと大きな目の、大変な男前である。
「私より年上ですね、間違ったら失礼ですが、67才あたりですか」というと、
「ありがとうございます、何か奢らないといけないですね」と笑い「実は77才です」と。
それには驚いた、とてもそうは見えない。肌には艶があるし、健康そのものの血色だ。
「鈴鹿サーキットで行われる市民マラソンも毎年走っています」と言い、ふくらはぎを触ってみて下さい、と言うので触らせてもらうと、カチカチの筋肉でまるでスポーツ選手のそれだ。それに私にとっても半ば仕事場のような、鈴鹿サーキットとくると親近感も湧く。
講演には、かなり頻繁に行かれるようで、そちらも興味があるので聞くと、大体1時間程度の話だが、時間はこれで判るんですよ、と、文字盤が無く、音声による腕時計を見せてくれた。タイマー設定も出来るので講演の終了時間も判るのだと。
しかし「1時間半の講演でも大体10分程度前に終わりますね、それは、時間ではなく、聞く人の気持ちを和げられた時に終わるからです」と、ということは、私なども人前で話す時には人々の表情を見て反応を確認しているが、この方には表情が見えなくても人々の心情が見えるのだろう。
そして、講演の最後には代表の方と握手をするとのことで、大変喜んでくれるのが嬉しい。時には抱きつかれて、「相手の涙が私の首筋に落ちてくることがあるんですよ、温かい涙ですよ」と。

刑務所だけでなく、色々な施設等で講演をされているようで忙しい様子だが、驚いたのは、中国でも講演されていて、これまでに北京や上海、武漢に行ったとのことだし、今も、いくつかの依頼を受けているが、忙しいので、お断りしているのだとか。
高校生にして視力を失い、自暴自棄になられたように、きっと、苦労もされてきた人生と想像するが、しかし、今は高齢にもかかわらず、とても活発で素晴らしい人生を送られている。
私のことも少し話をしていると、もう名古屋が近づいた。すると、手を差し出された。
しっかり握手をした。私が思ったことを先に言われた。「いい手をしておられますね、長生きされますよ」と、「いや、あなたこそ素晴らしい手ですね」と、その殆ど皺の無い、弾力のある大きな手を握って言葉を返したのだが、何か熱いものが走った。

その方には、人の心を和らげるオーラが出ていたのを強く感じた。
厄介に思われた40分は、素晴らしい40分になった。

Profile

☆畑川 治 1947年生まれ
レースアドバイザー
趣味: 運転、旅行、鉄道、その他

このブログ記事について

このページは、Osamu Hatagawaが2011年1月 3日 11:20に書いたブログ記事です。

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