Essay/Column/Diary

FCJレースの終焉

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○最終戦スタート.jpg

2006年、FCJがスタートして以来アドバイザーを勤めてきたが、今年をもってFCJレースが終了した。トヨタ、ホンダ、ニッサンというグローバル3メーカーが日本の若手ドライバーの発掘と育成という目標で手を携え合った画期的なレースであった。
もう8年も経ったのか、と思う。
そして、最終戦となった11月のレースの日、FCJ出身のドライバーから遂に日本一のドライバーが生まれた。
(写真はFCJ ホームページより)

優秀な若手ドライバーが集まるFCJレースであったから当然ではあるが、この8年の間に多くの優秀なドライバーを輩出しており、様々なレースで活躍している。
日本最高峰のフォーミュラレース“スーパーフォーミュラ”(以下SF)にも、今やFCJ出身者が6名も参加している。
今回の最終戦である鈴鹿のイベントでは、FCJと共にSFレースも開催された。

○山本チャンピオン.jpg

年間のシリーズタイトルがかかった今回のSFレースは2レース開催だった。
そして、それぞれ1位と3位を獲得した山本尚貴選手が見事に年間チャンピオンを獲得した。
(写真はSUPER FORMULA ホームページより)
つまり、日本一のドライバーになったのである。
終盤、突然の雨でむつかしいレースを無事に乗り切り、車を降りて歓喜の中、多くの関係者に祝福されていたが、私は表彰台の裏で彼を待った。
「日本一獲ったな」と声を掛けると抱きついてきた。
泣くので有名な山本選手だが、こちらも歳で涙もろくなっており、あやうく頬を濡らすところだった。

○FCJ-F02-logger2.jpg

写真が粗くて恐縮だが、これは2007年、山本選手がFCJに参加していた時のもので、私がデータロガーでアドバイスしている様子だ。
あれから6年で日本一のドライバーに成長したのか、彼の弛まぬ努力の賜物に他ならない。
本当におめでとう。
時まさにFCJ最後のレースの時に、日本チャンピオンが生まれるとは、誠にドラマチックな終焉となった。
スポーツは筋書の無いドラマと言えるが、何ともドラマチックだったな。

山本選手だけを捉えた内容になってしまったが、前述のようにFCJ出身ドライバーの活躍は目覚ましく、SFのすぐ下のF3では、ここ数年のチャンピオンはFCJ出身者が獲得していて、F3参加ドライバー自体、FCJ出身者が過半数程にもなっていた。
無論、フォーミュラに限らず、もう一方の日本を代表するレースであるスーパーGTにも、最上級の500クラスにFCJ出身ドライバーが5名が参加している。こうして、数えあげればキリが無いほどFCJからは多くのドライバーがステップアップしている。

何はともかく、そんな優秀な若手ドライバー達の成長に、多少なりとも携われたことは、価値のある8年間だった。
ありがとうFCJ。

○最終戦ピット前.jpg

Profile

☆畑川 治 1947年生まれ
レースアドバイザー
趣味: 運転、旅行、鉄道、その他

このブログ記事について

このページは、Osamu Hatagawaが2013年11月30日 15:44に書いたブログ記事です。

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