Essay/Column/Diary

この歳になってレーシングスーツを・・・

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□レーシングスーツ.jpg

新しいレーシングスーツを着たので記念写真をと、カメラマンの方から写して頂いたもの。
いやー、まさか、この歳になってレーシングスーツを新調することになるとは思ってもみなかった。
勿論、今更レースに出よう、という訳ではないんですよ。

前回のコラム「乗ったぞ!アルファロメオ4Cに!!」の続きにもなるが、
毎年開催される八光カーグループのジラソーレ走行会など、まだ時々サーキットを走る、つまりレーシングスーツを着る機会がある。

〇スーツ色々.jpg

そのレーシングスーツは未だに7~8着持っているのだが、しかし、しかし遂に全てウエストが苦しくなってしまった。
ということで、泣く泣くレーシングスーツを新調することになった。という実はくだらない理由で、当然、既製品では苦しいのであり、注文して作ることになった次第なのだ、今更。

思い起こすと、レーシングスーツを今までに自分で購入したことはあまり無かったので購入することに若干の抵抗感があった。
というのも、比較的新人に近い頃から日本のレーシングスーツメーカーの老舗である「オートルック」様からスポンサードして頂いたからで、それも、ベテランの鮒子田寛選手と新人の私の2人がサポートを受けた、という幸運だった。
おそらく、日本のトップレベルの選手と底辺カテゴリーの選手という組み合わせを考慮されたのだろう。

1977_FJ1300スタート前.jpg

レーシングスーツからアンダーウェア、シューズ、グローブに至るまで全て供給して頂いていた。昔の写真を見るとスーツの胸にも、帽子にもブランド名の「Firelex」が大きく入っていた。懐かしいなぁ。
ドライバーを引退するまでサポートして頂いた、本当にお世話になりました。

ドライバー引退後も、鈴鹿サーキットでの「F1ドクターカー・ドライバー」を務めたりしてレーシングスーツを作って頂いたし、また友人の経営するレーシング・ショップで貰ったこともあり、自ら買うことが無かったのだった。

昔話が続くが、ドライバーを引退してから声掛け頂いたのは、当時アルミホイールのメーカーで一世を風靡していた「ハヤシレーシング」から、新しくレーシングスーツ関連の事業を始めるのでマネージャーで来ないか、というものだった。
結局は、その事業ではなく「ハヤシカーズ」というレーシングカー製造販売部門のマネージャーとなったのだった。その後、レーシングスーツ事業も立ち上がり、それがARDというブランドで、今や日本のレーシングスーツの代表的なブランドとなっている。
そんなこんなで、今回のレーシングスーツはARDに発注したのだが、大幅値引きを要求させて頂いたのは仕方の無いところ、ですね。

なにはともあれ、私も間もなく68才、この歳になってもレーシングスーツを新調したりして頑張っております。
幾つもの病気を乗り越えつつ・・・
団塊の世代の皆様、同級生の皆様、お元気ですかー!

暑中お見舞い申し上げます。

〇トップオブザワールドで.jpg
at Top of the World CA USA

Profile

☆畑川 治 1947年生まれ
レースアドバイザー
趣味: 運転、旅行、鉄道、その他

このブログ記事について

このページは、Osamu Hatagawaが2015年8月14日 20:23に書いたブログ記事です。

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