Essay/Column/Diary

ホンダ八重洲ビル

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◎ホンダ八重洲ビル.jpg

この細長い白いビルがホンダ八重洲ビル。
実は近々無くなってしまう、八重洲地区の再開発(東京都心・八重洲地区整備計画)に伴うものだ。
ホンダが南青山に移転するまで本社を置いていたビルで、その後も関連子会社の㈱モビリティランド(鈴鹿サーキットやツインリンクもてぎ)やホンダ関連の財団法人が置かれていた。
新幹線で東京駅到着前にビルの間からチラリと見える、このビルも無くなってしまうのか。

私にとっても全く関係が無い訳ではなくて、私の所属するレース関係の会の会議も、このビルの会議室をご提供頂いてきており、つい先日も、そう、引っ越しされる2日前にも会議室を使わせて頂いた。
ということもあるが、
私にとって、もう少し思いがあるのは、若い頃にホンダSF(京都工場)で働いていた経緯があり、当時の親会社、本田技研工業の本社として頭にインプットされているからだろう。
当時はまだ下っ端でピーピー言って働いていた頃なので、この本社に来ることなど有り得なかったのだが、例えば朝霞での研修に新幹線で東京に来た折りには、到着寸前に(今と違って邪魔なビルが無かったので)HONDAの文字の入ったこの白いビルがよく見え、誇らしく思ったものだった。
その頃には、何10年かの後に、このビルでいくつかの会議に出席するようになるとは思いもしなかった。
そして、
その後、モータースポーツの世界で生計を立てることになり、
それに伴い、現在に至るまで鈴鹿の地に安住している。
その日本のモータースポーツの礎を築いたのは本田宗一郎氏であり、また本田技研の製作所に鈴鹿を選んだのも本田宗一郎氏で、鈴鹿が誠に快適な街に発展したことにも大きな影響を与えたはずだ。
とても個人的な話で恐縮だが、こうして私にとって本田宗一郎氏には感謝の思いがあった。

そこでホンダ八重洲ビルに話は戻るのだが、
ホンダ八重洲ビルには本田宗一郎氏の社長室が当時のまま保存されている。
そのビルが無くなることになるので、こうして思いを述べてみた次第だ。

但し、ビルが無くなるのを悲しみ惜しむのか、というと、薄情ながらそうした思いは持たない。
その場所に新しく作り出される、次の環境が素晴らしいものであれば良いと思う。

Profile

☆畑川 治 1947年生まれ
レースアドバイザー
趣味: 運転、旅行、鉄道、その他

このブログ記事について

このページは、Osamu Hatagawaが2015年12月16日 17:46に書いたブログ記事です。

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