Essay/Column/Diary

そうか首都だったのか

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〇ブラタモリ_2.jpg

私の出身地は京都としている。
実は、出生地は静岡なのであるが、3才の時から京都に移り住み、物心がついた時には京都で育っているので出身地としている。(出身地とは中学を卒業した場所という説もあるようだ)
さて、その京都を離れる時まで住んでいた住所が、京都市伏見区桃山町・・・であった。
住んでいた頃は生活の場であり、ごく普通に暮らしていただけなのだが、最近のテレビ「ブラタモリ」で紹介され、昔は日本の首都だったのだと初めて気付いた次第だ。

下の写真は私が小学校時代に通っていた通学路で、左の酒造所は、今は「月桂冠大倉記念館」となっており、多くの観光客が訪れる場所になっている。

〇大倉記念館前.jpg

さて、「安土桃山時代」とは織田信長と豊臣秀吉の時代であることはご存知のとおりで、織田信長の居城である滋賀県の安土城の「安土」。そして「桃山」は豊臣秀吉の伏見城のあった場所を指しているという。
秀吉の終の棲家であった伏見城、その伏見桃山が日本の首都であったということなのだ。
知らなかったなぁ、というか、何も考えずに生きていたなぁ。

〇桃山町鍋島.jpg 〇松平筑前公園.jpg

確かに、伏見区桃山町は続く名称に、桃山町正宗とか、桃山羽柴長吉町、桃山毛利長門町、桃山町島津、桃山福島太夫町、桃山町水野左近町、その他、大名の名のつく地名が沢山あることは知っていたが、それらは昔、秀吉が全国の大名を伏見城の周りに住まわせて政治を行っていたという。

〇古地図.jpg

これが古地図になる。右に伏見城、そして周りには各大名屋敷が家紋で画かれている。
いや、凄いもんですね、まさに豊臣秀吉が天下を統一していた力が見えようというものです。

〇徳川家.jpg

因みに、徳川家康の大名屋敷はお城の南側にある宇治川を渡った向島(むかいじま)にあった。
お堀のある、まるでお城のような広大な屋敷で、この頃から他の大名とは格が違っていたであろうことが、地図の上からもうかがえる。

〇納屋町_2.jpg
現在の大手筋

また、城下町である伏見を、職種により町づくりをしていたようで、その地名に魚屋町、塩屋町、油掛町、納屋町、風呂屋町、瀬戸物町、指物町、樽屋町、その他の名称が現在も伏見区桃山の後に続く。
今思えば昔の町の作りを偲ばせる地名だが、子供の頃はそんなことも知らずに「油掛けの〇〇ちゃんのところに遊びに行ってくるわ」と、ごく自然に使っていた。

◎銀座跡.jpg

地名での極め付けは両替町で、銀貨鋳造所のあった場所を表し、ここに日本で初めての銀座の地名が附された。
そう、日本で初めての銀座が。
それこそ「何とか銀座」は日本中に存在し、それらは東京の銀座を言わば本家として、その地の賑わいを謳っているようだが、
「東京の銀座も、元祖は伏見の銀座からであることを知っておかねばなりませぬぞ!たわけっ」・・・あ、言い過ぎた。


そして、「まぼろしの城・指月城」も紹介されている。
それは伏見城より以前に、やはり秀吉により構築された城で、伏見城から少し南側に位置した丘の上にあった由。
眼下に宇治川を望み、その南にあった広大な巨椋池(おぐらいけ)を一望できる高台にあったとされる。
しかし築城2年後に地震により崩れてしまったとのことなのだ。

〇指月城瓦.jpg

ところが近年、鯱や金箔が出土され「まぼろしの城・指月城」の存在が確認されたらしい。
その場所とは、いやまさに以前に住んでいた所から徒歩で5分位の場所だったのだ。
でも当時は「タイチョーロの坂、自転車で上るのキツいなー」などと通り過ぎていた所だ。
タイチョーロは「桃山町大長老」だと知ったのも「ブラタモリ」のきっかけで、グーグルマップで確認した最近のことである。

〇桃山城遠景.jpg


Profile

☆畑川 治 1947年生まれ
レースアドバイザー
趣味: 運転、旅行、鉄道、その他

このブログ記事について

このページは、Osamu Hatagawaが2017年8月 2日 21:20に書いたブログ記事です。

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